はじめに|「振り返る立場」としての前置き
コーチングの現場では、日頃から
「振り返りは大事ですよね」という話をよく共有しています。
経験を言葉にして、次に活かすこと。
多くのビジネスパーソンを支援していて、
そして、ぼく自身が振り返りを実践していて、
それが前進の質を変えてくれると感じているからです。
今回の記事では、
ぼく自身が、とある1週間のコーチングセッションを振り返りながら、
そのプロセスを記事として共有してみたいと思います。
純粋に「何が起きていたのか」を、
あるがままに見てみる、という試みです。
振り返りながら考えているのは、
この時間が、
「ホモ・サピエンスの理解と実践」のために、
どんなフィードバックを与えてくれるのか、ということ。
それを言葉にできたら、面白いだろうな、という感覚があります。
振り返ってみると、その1週間のセッションは、
扱っているテーマも、クライアントさんの立場も、いらっしゃる現場もバラバラでした。
時間が足りないという悩みもあれば、
部下との関係性、チームの空気、成果の伸び悩みといった話もある。
一見すると、共通点はないように見えます。
それでも、振り返りをしていて、
ひとつ気づいたことがありました。
課題は違うのに、つまずいている場所に、
ちょっとした共通点がありそうだということです。
この記事では、
そのちょっとした共通点を起点に、
ぼく自身が振り返りながら考えていったことを記録していきます。
どんなゴールに辿り着くかはわかりませんが、
振り返りのプロセスそのものを、できるだけそのまま残していこうと思います。
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1. 違う課題なのに、つまずいている場所が似ていた
振り返ってみると、その1週間のコーチングセッションで扱っていたテーマは、本当にさまざまでした。
「時間が足りない」
「タスクに追われて余裕がない」
「部下との関係性にモヤっとしている」
「チームの雰囲気が少し停滞している気がする」
「成果が思うように伸びてこない」
表に出てきている言葉だけを見ると、
それぞれ別の問題に見えますし、
個別に対処すべき話のようにも見えます。
ところが、セッションを一つひとつ思い返しながら、
やりとりの流れや、クライアントさんの言葉の選び方、
詰まっている瞬間の空気感を辿っていくと、
ある前提が、あらためて確認されていきました。
つまずいているのは、課題そのものではない。
これは、様々な方たちのコーチングをさせていただいていて、
ぼく自身も何度も目にしてきたことです。
セッションでクライアントさんが最初に語る
「課題の解決策」は、
その人がその時点で
いちばん手応えがありそうだと感じている答え
であることが多いように思います。
当事者として課題に直面していると、
多くの人は、
「こうすれば何とかできそうだ」
「ここを変えれば前に進めるかもしれない」
そんな手段に意識が向きます。
それ自体は、とても人間らしい反応です。
ただ、振り返ってみると、
それらは後から見て
一時的な対処にとどまっていた
と分かることも、少なくありません。
だからこそ、
目の前の解決策そのものではなく、
「なぜ、そこに目が向いているのか」
「どんな状態で、その答えを選んでいるのか」
を一緒に眺めてみる余地がある。
この1週間のセッションを振り返りながら、
そんなことをあらためて考えていました。
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2. 振り返って見えてくるのは「構造の歪み」
第1章で触れた
「課題は違うのに、つまずいている場所が似ていた」という感覚。
それをもう少し丁寧に振り返っていくと、
少しずつ、ある輪郭が見えてきます。
うまくいっていなかったのは、
誰かの能力や姿勢ではなさそうだ、ということ。
また、「もっと頑張れば解決する」類の話でもありません。
振り返りをしていて、
意識に上がってきたのは、
“構造”というワードでした。
ここで言う「構造」とは、
誰かが意図的に設計した仕組みのことではありません。
• どんな順番で仕事に向き合っているか
• どこまでを自分の役割として引き受けているか
• どのタイミングで、誰と、どんな温度で関わっているか
そうした日々の選択や関わりの積み重ねの中で、
いつの間にか出来上がっていた前提や関係性。
それが、ここで扱っている「構造」です。
たとえば、
「時間が足りない」と感じていた方の話を振り返ってみると、
実際に詰まっていたのは、
時間そのものというよりも、
タスクや判断が重なり合う構造だったように見えてきます。
また、
「部下との関係性がうまくいかない」と感じていた場面では、
関係性そのものよりも、
どこまで自分が引き受け、どこから手放すか
という関わり方の構造に、
少し不自然さが感じられます。
さらに、
「成果を出し続けたい」という思いが強い現場では、
期待そのものは健全でも、
常に力を入れ続ける前提の構造になってしまい、
余白がたりなくなっているケースもあります。
こうして振り返っていくと、
目の前に現れていた「課題」は、
構造の歪みが表に現れた結果として、
立ち上がってきていたのかもしれません。
だから、
解決策を一生懸命考えても、
なぜか噛み合わなかったり、
同じところで立ち止まってしまったりする。
それは,
人が弱いからでも,
やり方が間違っているからでもなく,
前に進みにくい構造の中で、前に進もうとしていた
ということのように思えます。
次の章では、
この「構造の歪み」が、
具体的にどんな形で現れていたのか。
時間、コミュニケーション、マネジメントという切り口から、
もう少し細かく見ていきたいと思います。
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3. 振り返り① 忙しさの正体は「時間不足」ではなかった
「時間が足りないんです」
この言葉は、今回振り返ったセッションの中でも、
何度か耳にしました。
忙しさを感じているとき、
多くの人がまず口にする表現だと思います。
けれど、やりとりを丁寧に辿っていくと、
本当に足りなかったのは
“時間そのもの”だったのかどうか、
少し立ち止まって考えたくなりました。
振り返って見えてきたのは、
時間が奪われているというよりも、
判断やタスクが重なり合っている状態でした。
• すぐに決めなくてはいけないことがある
• けれど、確認が必要で、返事を待っている
• 待っている間、別の案件を進めている
• その作業も、何度も中断されている
前に進みたい感覚はあるのに、
実際には、どこも確定しない。
判断は止まり、
作業は細切れになり、
進んでいる実感は、削られていく。
こうした状態に置かれると、
人はつい「忙しい」という言葉を使いたくなります。
時間が足りないというよりも、
前に進まない感覚が、
積み重なっていく。
ここで起きていたのは、
時間の問題というより、
判断と役割が過密になっている構造だったように感じます。
一つひとつを見れば、
どれも大切な仕事ですし、
サボっているわけでもありません。
ただ、
「誰が決めるのか」
「どこまでを自分が引き受けるのか」
「いま決めなくてもいいことは何か」
そうした整理が追いつかないまま、
すべてを同時進行させようとしていた。
もう一つ、
振り返りながら気になったことがあります。
前に進んでいない感覚や、
判断できずに気が急いている状態に、
一度「忙しい」という言葉を当てはめると、
その後の認知が、
いつの間にか「忙しい」前提に傾いていくことがあります。
そして多くの場合、
そこで立ち止まるのではなく、
なんとかしようとします。
「時間が足りないなら、もっと工夫しよう」
「優先順位づけを、きちんとやろう」
「タスク管理を、もう一段整えよう」
どれも前向きな取り組みですし、
間違っているわけでもありません。
ただ、
前に進めない構造がそのままなら、
管理をどれだけ整えても、
忙しさの感覚は、なかなか軽くなりません。
振り返ってみると、
今回扱っていた「忙しさ」も、
時間の問題というより、
進めない状態に貼られたラベルだったように思います。
次の章では、
この「構造の歪み」が、
コミュニケーションの場面で
どんな形で現れていたのか。
中間管理職の方とのやりとりを振り返りながら、
もう少し見ていきたいと思います。
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4. 振り返り② 向き合うとは、全部受け止めることじゃない
「ちゃんと向き合わなきゃ、と思っていて」
中間管理職の方とのコーチングセッションでは、
この言葉を耳にすることがよくあります。
部下やメンバーの話を聞くとき、
相談や違和感を受け取るとき、
誠実であろうとするほど、
この姿勢は自然に強くなっていきます。
振り返ってみると、
その「向き合い方」自体が、
少し負荷のかかる構造になっている場面もありました。
何か課題や相談が出てきたとき、
課題をできるだけ早く解決しようとする。
判断や確認を、自分が引き受ける。
前に進みたい。
進ませたい。
その思いから、
無意識のうちに引き受ける役割が増えていく。
そんな反応が、
ほぼ自動的に起きているように見える場面がありました。
それ自体は、
責任感の表れでもありますし、
悪意や怠慢とはまったく無縁です。
ただ、第3章で振り返った
「忙しさの構造」と重ねて見ていくと、
ここにも似た前提があるように感じられました。
判断や確認が自分のところに集まることで、
次の動きは「確認待ち」になり、
その間に別の案件を進める。
そしてまた、途中で手を止める。
こうした流れが続くと、
自分が忙しくなり、
部下やメンバーの側も、
「確認してもらう」「決めてもらう」前提で
動く構造が、少しずつ固定されていきます。
振り返ってみると、
これはコミュニケーションの良し悪しというより、
判断の置きどころが偏っていく構造
だったように思えます。
向き合うこと自体が問題なのではありません。
ただ、
「全部を受け止める」形で向き合い続けると、
判断や責任の流れが、
一方向に寄っていく。
その偏りが、
第3章で見てきた
「確認待ち」「決められない」「中断が増える」
といった忙しさの構造とも、
静かにつながっていきます。
振り返りの中で浮かんできたのは、
向き合うとは、
相手の話をすべて引き受けることではなく、
どこを委ねるかも含んだ関わりなのかもしれない、
という感覚でした。
この章の振り返りでは、
「向き合う=受け止めきる」
という前提が、
知らないうちに構造を重くしていた可能性に、
目が向きました。
次の章では、
こうした関わり方の積み重ねが、
マネジメントや組織全体の動きに、
どんな影響を与えていたのか。
もう少し視点を引いて、
振り返っていきたいと思います。
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5. 振り返り③ 走り続けるために、何が起きていたのか
振り返りを進める中で、
もう一つ、共通して浮かび上がってきたものがありました。
それは、
誰かが怠けていたとか、
覚悟が足りなかったとか、
そういう話ではありません。
むしろ逆で、
期待に応えようとしている。
ちゃんと成果を出そうとしている。
前に進み続けようとしている。
そんな姿勢を強く持っている人たちでした。
ただ、その強さが向けられていた方向を、
少しだけ引いて見てみると、
そこにも構造的な偏りがあるように感じられました。
走り続けることが前提になっている。
走っているときの、
ゆらぎの許容がなくなっていく。
結果として、
• 期待が下がることはない
• 圧力だけが、少しずつ積み上がっていく
• 余白が足りなくなっていく
そんな状態が、静かに続いていました。
ここで扱っているのは、
「期待が高すぎる」という話ではありません。
また、「厳しすぎるマネジメント」という話でもありません。
振り返って見えてきたのは、
期待と圧力が、同じ方向に重なり続ける構造
でした。
成果を出したい。
任せているからこそ、期待したい。
だから、もう少し踏ん張ってほしい。
その一つひとつは、
とても自然なものです。
ただ、それが積み重なっていく中で、
緩めるきっかけや、
ペースを落とす合図が、
構造の中に用意されていなかった。
走り続けること自体が悪いのではなく、
走りながら揺らぐ余地が残っているかどうか。
その違いが、大きかったように思えます。
第3章で見た、
「忙しさ」というラベルのズレ。
第4章で見た、
判断するポジションの偏り。
それらを生み出している土台には、
この「緩めにくい構造」がありました。
余白が足りなくなると、
判断は急ぎがちになり、
引き受ける役割は増え、
進んでいる実感は、削られていく。
それでも、人は前に進もうとします。
進もうとするからこそ、
不要な力みが生まれる。
この循環自体が、
個人の問題ではなく、
構造として出来上がっていた。
振り返りの中で浮かんできたのは、
成果を支えているのは、
強さや我慢だけではなく、
緩急をつけることができる構造かどうか
なのではないか、という感覚でした。
走り続けている現場を振り返ったとき、
そこに「揺らぎ」や「余白」が
許容されていたかどうか。
その問いが、自然と立ち上がってきました。
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まとめ|成果は、強さより「構造」から生まれる
とある1週間のコーチングセッションを振り返りながら、
起きていたことを、できるだけそのまま見つめてきました。
扱っていたテーマも、
クライアントさんの立場も、
置かれている現場も、
それぞれまったく違っていました。
それでも、振り返りを重ねるうちに、
いくつかの共通点が、少しずつ浮かび上がってきました。
第3章では、
「忙しい」という言葉が、
本来のズレを覆い隠してしまう構造を見ました。
第4章では、
向き合おうとする誠実さが、
判断するポジションを一方向に偏らせていく構造を振り返りました。
第5章では、
走り続けることが前提になり、
揺らぎや余白が許容されにくくなっていく構造を見てきました。
そこにあったのは、
誰かの弱さでも、
努力不足でもありません。
むしろ、
ちゃんとやろうとしている。
前に進もうとしている。
成果を出そうとしている。
その姿勢があるからこそ、
少しずつ噛み合わなくなっていく構造がありました。
振り返って感じたのは、
成果は、特定の誰かの「頑張り」や「我慢」だけで
生まれるものではない、ということです。
忙しさ。
判断。
期待。
圧力。
それらが、どんな構造で配置されているか。
どこに偏りが生まれているか。
揺らぎや余白が、残されているか。
その構造を見直したとき、
前に進む力は、
無理にひねり出さなくても、
自然と立ち上がってくる。
今回の振り返りを通して、
あらためて強く感じたのは、
成果の入り口は、
「もっと頑張れるか?」
ではなく、
「この構造は、前に進める形になっているか?」
という問いなのかもしれない、ということでした。
振り返ることで、
見え方が変わる瞬間がある。
構造に目を向けることで、
力の使い方が変わる瞬間がある。
そんなことを感じる振り返りでした。

