独り立ちを始めた営業が、自分の立ち位置を見つけはじめたとき ──戸惑いは、原因が見えれば変わるのか

第1章|ひとりで任され始めたときに、感じる不安

主担当として任されるようになった。

上司や先輩が同席しない商談が増え、
メールやチャットも、自分の名前でやり取りする場面が多くなる。
相手からの問いに、その場で返すこと。
判断を先送りせず、自分の言葉で伝えること。
そんな場面が、少しずつ日常になっていく。

仕事の進み方が、大きく変わったわけではない。
ただ、これまで誰かが横にいた場所に、
自分ひとりで立つ時間が増えただけだ。

それでも、
どこか落ち着かない感覚が残る。

提案の内容は、これでいいのだろうか。
この返し方で、相手に誤解は生まれないだろうか。
専門的な話題になったとき、
自分はどこまで理解できているのだろうか。

誰かに聞こうとして、
一度、手が止まる。
「これくらいのことで相談していいのか」
そんな考えが浮かび、
もう一度、画面を見直す。

結局、そのまま返すこともある。
あとから振り返って、
あの聞き方でよかったのか、と考えることもある。

大きな出来事が起きているわけではない。
ただ、
自分の判断で進める場面が増え、
その分、考える時間が静かに長くなっている。

「本当にこれでいいのか」

その問いが、
はっきりした形を持たないまま、
仕事の合間に残り続けている。

この感覚は、
経験の問題なのか。
知識の問題なのか。
それとも……

まだ言葉にならないまま、
今日もひとつ、仕事を終える。

今回のお話のきっかけは、
最近、主担当を持ち始めたIT企業の営業職のクライアントさんとの
コーチングセッションでした。

第2章|不安の理由を、決めなくてもいい

この状態にいるとき、
ぼくたちは、つい不安の理由を探し始めることが多くなります。

経験が足りないのだろうか。
専門知識が足りないのだろうか。

そう考えることで、
頭の中が少し整理されたように感じることもあります。
理由が言葉になると、
いま感じているものを扱いやすくなるからかもしれません。

経験も知識も、あった方がいい。
もちろん、それが影響している場面もあるでしょう。

ただ、この段階で
答えをひとつに決めなくても、
仕事そのものは止まりません。

わからないまま進むやり取りもあれば、
確認しながら形になっていく提案もある。
すべてが整ってから動き出すわけではなく、
動きながら少しずつ整っていく場面もあります。

不安があるというだけで、
何かが足りていないと結論づけなくてもいい。
理由を急いでまとめなくても、
次の一手は、そのまま続いていきます。

まだ整理しきれていない状態で、
仕事の前に立っている。
それは、特別なことではありません。

そうした時間を通りながら、
自分なりの関わり方が、
少しずつ形になっていくこともあります。

第3章|それでも、すでに起きていたこと

不安や戸惑いが続いている一方で、
実際の仕事は、日々進んでいた。

商談の場面で、
相手の反応に小さな違和感を覚えることがある。
言葉の選び方や、表情の変化。
はっきりした指摘ではないけれど、
「何かが噛み合っていないかもしれない」と感じる瞬間。

その違和感を、そのままにしない。
あとでメモに残したり、
チャットで共有したりする。
自分だけで抱え込まず、
エンジニアや上司に投げてみることもある。

「ここ、どう思いますか」
「こういう反応があったのですが」

そうやって状況を渡すと、
別の視点が返ってくる。
技術的な補足や、
別の切り口からの整理。
そこから、提案の形が少しずつ見えてくる。

本人は、
それを特別なことだとは思っていなかった。

前に出て説明するわけでもない。
即答できる知識があるわけでもない。
だから、自分はまだ足りていない、
そんな感覚の方が強かった。

けれど振り返ってみると、
いくつかの動きは、確かに繰り返されていた。

違和感に気づくこと。
状況を言葉にして共有すること。
人と人をつなぎ、
考えを行き来させること。

それは、
誰かの代わりをしていたわけでも、
補助に回っていたわけでもない。

ただ、
その場に必要な役割が、
自然とそこで果たされていた。

前に出ることだけが、
仕事の進め方ではない。
そうした感覚が、
言葉になる前のかたちで、
すでに働いていた。

第4章|整い始めた理由

セッションの中で、ひとつの変化がありました。

それまで上手く言葉にならなかった強みが、
少しずつ言葉になっていく。

細かい違和感に気づけること。
状況を言葉にして、周囲に共有できること。
エンジニアと相談しながら、考えを形にしていけること。

彼女は、それらを
「まだ足りない自分の裏側」にあるものとしてではなく、
すでに自分の中にあるものとして言語化しました。

特別なスキルを身につけたわけではない。
知識が急に増えたわけでもない。
ただ、

何ができていて、
それをどう使ってきたのかが、
自分の言葉で表現できた。

そして、もうひとつ。
その整理のあとで、
彼女はあらためて、こう感じたようです。

この強みを、もっと活かせるようにするには、
やっぱりITの知識が必要だ、と。

それは、
不安な状態のまま
「足りないから学ばなければ」と感じていた頃とは、
少し違う手触りなんだと思います。

強みが言語化され、
どう使うかが見えはじめた状態で求める知識と、
不安なまま手当たり次第に集めようとしていた知識とでは、
向き合い方が変わって行くように見えます。

同じ“IT知識”でも、
目的がはっきりしたことで、
それまでずれていた歯車が、
役割を持って噛み合い始めたようにも感じられます。

何ができているのか。
それを、これからどう使っていきたいのか。
そのために、何が必要だと感じているのか。

それらが、ひと続きで見えるようになり始めたのではないかと思います。
整った理由は、
考え方が変わったからでも、
自信がついたからでもない。

言葉になり、使うと決めたから。
そんな風にぼくには、見えました。

第5章|独り立ちは、「完成」ではなく「選択」

整ったからといって、
何かが劇的に変わるわけではないと思います。

次の日も、
メールは届き、
チャットは鳴り、
商談の予定は淡々と進んでいく。

ただ、
向き合い方が少しだけ変わる。

わからないことが出てきたとき、
闇雲に調べ始めるのではなく、
「これは、どこで使う知識だろうか」と立ち止まる。
エンジニアに相談するときも、
聞きたいポイントが、以前よりはっきりしている。

書き出すこと。
整理すること。
相談すること。

それらは、
新しく始めた行動ではありません。
これまでも、ずっとやってきたことです。

ただ、
それを「足りない自分を補うため」ではなく、
「自分の強みを使うため」に選び直す。

独り立ちとは、
すべてを一人でできるようになることではないと思います。
どんな関わり方で仕事をしていくのかを、
自分なりに選び始めることなのかもしれないと、ぼくは思います。

前に出る場面もあれば、
つなぐ役割に回る場面もある。
そのどちらもが、
その人の仕事として成立している。

整ったから、迷わなくなったわけではないし、
不安が消えたわけでもないと思います。

ただ、
どこに立って、
何を使って進もうとしているのかが、
自分の中でわかっている。

その状態で動く一歩は、
少しだけ、足取りが違って見える。

おわりに|立っている場所から、もう一度

前に出ることへの戸惑いは、
何かが足りないから生まれるとは限りません。

独り立ちを始めたとき、
これまでと同じ仕事をしていても、
立っている場所だけが、少し変わります。
その変化に、体や感覚が追いつこうとする。
それだけのこともあります。

今回のセッションで印象的だったのは、
彼女の選択の理由が「不安をなくそう」とか、
「自信を持とう」ということとは
少しだけ違うところにあるように感じたことです。

ただ、
自分がすでにやってきたことを言葉にし、
それを使っていくと決めた。
その結果、
次に必要なものが、自然と見えてきた。

前に進むために、
何かを足さなければならないと感じるとき。
一度、
いま立っている場所を確かめてみるのも、
ひとつの選択かもしれません。

そこには、
まだ言葉になっていないだけで、
すでに動いているものがあることも多いからです。

独り立ちは、
完成を目指す工程ではなく、
自分なりの関わり方を選び続ける過程。

今日の仕事が、
少しだけ違って見えたなら。
それもまた、
ひとつの「整い」なのだと思います。

話しのペースが合わないとき、対話で本当に起きていること

①話すペースは、能力ではなく「感情の表れ」であることがある

「たかぎって、自信がないときって口数が多くなるよね(笑)」

20代の頃、とても親しい友人から言われた言葉です。

本当にぼくのことを理解してくれている、
そんな友人だったので、
その言葉を聞いたとき、
妙に腑に落ちる感じがありました。

コーチングを学ぶ20年近く前のことですが、
人間の感情って、
こんなところにも出るんだな、と感じた
最初のきっかけの一つだった気がします。

経験が浅いことや、
自分が得意ではないところでも、
ちゃんとしているように見せたい
という気持ちが強かったんだと思います。

その感情が、
話すスピードや、
言葉の量として、
そのまま表に出ていただけだった。

人間って、意識をしていないと、
話すスピードや言葉の強さに、
感情が現れてしまうことがよくあります。

焦っていると、少し早口になる。
責任を感じていると、語気が強くなる。
うまく伝えたいと思うほど、間を取れなくなる。

反対に、
自信がないと、声が小さくなったり。
不安が強いと、言葉が少なくなったり。
あるいは、若い頃の僕みたいに、
自信がないときほど口数が多くなったりもする。

どれも、
性格の良し悪しでも、
能力の高低でもありません。

そのときどきの感情が、
話し方として表に出ているだけです。

大事なのは、
こうした反応が起きること自体ではなく、
ぼくたちは、必要に応じて話し方を選べると意識することだと思います。

仕事の対話には、
「伝える」
「理解を揃える」
という目的があります。

そのときには、
話し方を感情に任せるのではなく、
相手に伝わりやすい話し方を選ぶ、
という選択肢を知っておくだけでも、
対話へのスタンスが変わってきます。

たとえば、
相手の反応を見て、
話すペースを少し落としてみる。

言葉の強さを和らげて、
「ここまでで大丈夫ですか?」と
間をつくってみる。

相手に合わせて、
スピードや語気を“選ぶ”。

それだけで、
伝わり方が変わることは、意外と多いものです。

話すのが早いことも、
ゆっくりなことも、
それ自体に優劣はありません。

ただ、
伝えようとするときには、選択肢がある。

そのことに気づいているだけで、
対話はずっと進めやすくなります。

② 誤解の正体

「早く話せる人=優秀」という思い込み

会話のテンポが速くて、
言葉が途切れず、
次々と話題を展開していく人を見ると、

「頭の回転が速い人なんだろうな」
「仕事ができる人なんだろうな」

そんなふうに感じることがあります。

早口で、饒舌で、
その場をリードしているように見える。

そういう人を前にすると、
無意識のうちに、
「この人が基準」
のように感じてしまうこともあるかもしれません。

でも、ここにも一つ、
静かな誤解が紛れ込んでいます。

それは、
話すスピードや情報量が、そのまま理解力や優秀さを表している
と思い込んでしまうことです。

実際には、
早く話せることと、
深く理解していることは、
必ずしも同じことではないですよね。

早口で話せる人にも、
その人なりの背景があります。

考えながら話している人もいれば、
勢いで話してから、あとで整理する人もいる。
場を前に進めることを優先して、
あえて間を取らない人もいます。

こうした話し方の背景には、
その人なりの感情や役割意識、
その場で担っているポジション
などの影響があると思います。

①で触れたように、
話し方には、そのときの感情がにじみます。

それは、
早口であることもあれば、
饒舌であることもある。

でも、それは
「優れている証拠」ではなく、
その人が、その場でどう関わろうとしているか、
その一側面が表れているだけです。

ここで一つ、分かれ道があります。

話すペースや量そのものではなく、
相手に伝わっているかを気にかけながら
話し方を選んでいるかどうか。

この意識があるかないかで、
同じ早口や饒舌でも、
対話の質はまったく変わってきます。

速く話せることよりも、
「相手に届いているか」を見ていること。
ぼくは仕事の場では、こちらのほうが
ずっと大事な力ではないかと考えています。

早く話せる人は、
「早く話す」ことに長けている。
それ自体は、間違いありません。

ただ、それと
理解を深める力や、
相手と認識を揃える力が高いかどうかは、
また別の話です。

仕事における対話の目的が、
「伝えること」や
「理解を揃えること」だとするなら、

より伝わる方法を選ぶこと。
より理解が揃いやすいやり方を取ること。

そこに目を向けることに、
もう少し重きを置いていいのではないかと
ぼくは思います。

③ ペースを揃えるという考え方

合わせることは、我慢ではない

「ペースを揃える」と聞くと、
無理をしなくてはいけない、とか
我慢しなくちゃいけないと感じる方もいるかもしれません。

でも、ここまで整理してきた前提に立つと、
少し違う見え方がしてきます。

ペースを揃える、というのは、
どちらかが我慢することではありません。

それは、
「この場で、理解を揃えるには、
 いま、どんな進み方がよさそうか」
を、その都度、選び直すことです。

たとえば、
話すスピードが速い人が、
一度、間を取ってくれる。

あるいは、
ゆっくり考えたい人が、
「ここまでは大丈夫です」と合図を出す。

どちらも、
相手を下げる行為ではなく、
対話を前に進めるための調整です。

ただ、
ペースが合っていないまま進むと、
「伝わったつもり」や
「理解していないけど合意」
が増えていきます。

それは、
早い・遅いの問題というより、
理解を揃える、というプロセスが
まだ十分に組み込まれていない
というサインなのだと思います。

ペースを揃える、という考え方は、
相手に合わせることでも、
自分を押し通すことでもありません。

場に合わせる、という選択です。

いまは説明が必要なのか。
いまは確認が必要なのか。
それとも、いったん進んだほうがいいのか。

こうした判断を、
感情ではなく、目的に照らして行う。

仕事の対話で大事なのは、
話し方の速さや量を基準にすることではなく、

この場で、理解がどこまで揃っているか
だと思います。

そのために、
話すスピードを落とすこともあれば、
あえて端的にまとめることもある。

ペースは、固定するものではなく、
状況に応じて動かしていいものです。

ペースを揃える、というのは、
相手に従うことではありません。

対話の目的に向かって、
一緒に歩幅を決め直すこと。

そう捉えると、
「合わせる」という言葉の印象も、
少し変わってくるのではないでしょうか。

④ じゃあ、そのプロセスをどう組み込むのか

小さな往復を、対話の中に置く

理解を揃える、というプロセスは、
特別な技術で成り立っているわけではありません。

その場で、
伝え手になった人は、
「いま、伝わっているか」に目を向けて、
確認してみること。

受け取る側の人は、
「どう受け取ったか」や
「その時点でどこまで受け取ることができているか」を、
伝え手に返してみること。

その往復を、
少しだけ大切にしてみる。

それだけでも、
対話の進み方は変わってきます。

⑤ まとめ

対話の「速さ」ではなく、「揃い方」を見る

話すのが早いか、遅いか。
言葉が多いか、少ないか。

そうした違いは、
対話の中ではどうしても目につきやすいものです。

でも、ここまで見てきたように、
それらは能力や優劣を示すものというより、
感情や役割、場との関わり方が
話し方として表れているにすぎません。

仕事の対話で本当に大事なのは、
スピードや量そのものではなく、

いま、この場で
どこまで理解が揃っているか
に目を向け続けることだと思います。

そのために必要なのは、
うまく話すことでも、
正解の言い回しでもなく、

伝え手が「伝わっているか」を気にかけること。
受け取る側が「どう受け取ったか」を返すこと。

その小さな往復を、
対話の一部として扱う姿勢です。

ペースを揃える、というのは、
誰かに合わせることでも、
自分を抑えることでもありません。

目的に向かって、
その都度、歩幅を確かめ直すこと。

この文章が、
誰かとの対話の中で
ふと立ち止まるきっかけになれば、
いいなと思います。

的を得た施策なのに、なぜ現場は動かなかったのか ―選べない構造が、行動を止めていた ―

① 「おかしいな」と感じた、あの感覚

「これは、間違っていないはずなんだけどな」

管理職として、そんな感覚を覚えたことはないでしょうか。

現場のことを考えて選んだ取り組み。
合理的で、成長にもつながる。
自分なりに考え抜いて決めた施策です。

しかも、その取り組みは、
もともと現場のあるメンバーから出てきたアイディアでした。

現場発の提案であり、
決して上から一方的に押し付けたものではない。
だからこそ、「きっと前向きに受け取られるだろう」
そんな手応えも、正直ありました。

ところが、実際に動き始めてみると、
現場の反応はどこか鈍い。

強い反発があるわけではない。
あからさまな不満が出るわけでもない。
ただ、前に進んでいる感じがしない。

「忙しいから」「タイミングが悪いから」
そんな理由はいくらでも思いつきます。

でも、どこかで引っかかるのです。
本当にそれだけだろうか、と。

現場から出たアイディアで、
管理職としても「正しい」と感じている取り組み。
それでも、空気は思ったほど動かない。

むしろ、少しだけ重たくなったようにも感じる。

この違和感は、
マネジメントがうまくいっていないサインなのか。
それとも、何かが変わり始めている途中なのか。

答えが出ないまま、
「おかしいな」という感覚だけが、静かに残ります。

この感覚は、
とある営業部門の管理職の方とのコーチングの中で、実際に共有されたものでした。
特別なケースではなく、
多くの管理職が同じように立ち止まる瞬間なのかもしれません。

② 「管理職が『的を得ている』と感じる施策」の正体

そのとき、管理職であるクライアントさんが取り入れようとしていたのは、
自分の行動を客観視するための取り組みでした。

自分の振る舞いや判断を、一度外から眺めてみる。
第三者の視点を通すことで、
これまで見えていなかった癖や、改善点に気づける。

とても健全で、
成長につながる取り組みだと感じられていました。

実際、こうした「客観視」は、
コーチングの現場でも大切にされる考え方です。
感覚や経験だけに頼るのではなく、
自分の行動を言語化し、振り返る。

だからこそ、
「これでみんなの営業活動の精度が上がる」
そんな確信に近いものが、あったのだと思います。

さらに言えば、
この取り組みは、現場のメンバーから出てきたアイディアでもあります。
上から一方的に決めたものではなく、
現場の課題意識から生まれたものでした。

それだけに、
実際に動かなかったメンバーが一部いるという事実を前に、
「なぜ動かなかったのか」という疑問が、
より強くなっていきます。

的を得ていると感じている。
成長につながると信じている。
しかも、現場発の提案でもある。

それでも、動かないメンバーがいる。

ここで、ついこんな言葉が頭をよぎります。

「やる気の問題なのだろうか」
「まだ必要性が伝わっていないだけなのか」

けれど、この違和感は、
“施策の中身”そのものに原因があるとは限りません。

むしろ、
その取り組みが
どのような意味づけとして受け取られていたのか。
その部分に、目を向ける必要があるのかもしれません。

③ 正しさが無意識に生むプレッシャー

自分の行動を客観視する。
成長のためには、とても健全な取り組みです。

メンバーに対して
「良くなってほしい」
「次のステージに進んでほしい」
そんな前向きな気持ちは、
ほとんどの管理職の方がお持ちでしょう。

ただ、この施策は、
受け取る側にとっては、別の形で届くことがあります。

自分の行動が見られる。
振り返られる。
場合によっては、比較されるかもしれない。

それは、
「成長の機会」であると同時に、
「評価の場」になる可能性がある。

管理職の側に、
強い評価の意図がなくても、
その構造があるだけで、人は無意識に身構えます。

やらなければいけない。
できていないと思われたくない。
失敗を見せたくない。

こうした感情は、
やる気がないから生まれるわけではありません。
むしろ、真面目で、責任感がある人ほど強く感じやすいものです。

そして、ここにはもう一つのズレがあります。

管理職の側では、
「これは的を得ている取り組みだから、試してみよう」
そんな感覚だった。

一方で、
メンバーの側では、
「正しいことをやるよう求められている」
そんなふうに受け取られていた可能性がある。

同じ施策を前にしていても、
意味づけは、必ずしも一致しません。

的を得た施策だった。
意図も善意も、そこにはあった。

ただ、
「どういう構造でそれが現場に届くのか」
十分に想定できていなかったのかもしれない。

その結果、
構造次第で、人は動けなくなってしまう。

ここで大切なのは、
これは「誰かが悪い」という話ではない、ということです。

マネジメントが
「やらせる」から「支える」へ移行する過程では、
こうしたズレが起きやすい。

このズレに気づけるかどうかが、
関わり方を見直すひとつの分かれ目なのかもしれません。

④ どこに「やらせる構造」が残っていたのか

では、どこにズレが生まれていたのでしょうか。

施策そのものが問題だったわけではない。
意図や善意が足りなかったわけでもない。

それでも、
一部のメンバーは動かなかった。

ここで見直したいのは、
「何をやるか」ではなく、「どう関わっていたか」
その構造です。

今回の取り組みは、
表面的には「自分を振り返るためのもの」でした。

ただ、構造として見ると、
そこにはこんな前提が含まれていました。

・この取り組みは、やったほうがいい
・やらない選択肢は、あまり想定されていない
・やるかどうかは、実質的に決まっている

管理職の側としては、
「的を得ているから、試してみたい」
そんな感覚だったはずです。

けれど、メンバー側から見ると、
「やる前提で話が進んでいる」
そんな空気を感じ取ることもあります。

ここに、
“やらせるつもりはないのに、やらせる構造”
が生まれます。

命令しているわけではない。
強制しているつもりもない。

それでも、

・やらない理由を説明しなければならない
・やらないと、どこか気まずい
・やらない自分は、前向きではないように見える

そんな無言の圧が、
場の中に立ち上がってしまう。

結果として、
メンバーは「選んでいない」のに、
「選ばされている」状態になります。

この状態では、
人は主体的には動きづらい。

納得していないからではなく、
選択の余地がない構造の中にいるからです。

ここで大切なのは、
管理職が「間違った」わけではない、ということ。

メンバーの自発や自立を目指して、
関わり方を変えようとしているからこそ、
このズレは起きやすい。

「良かれと思って」
「自発や自立を促そうと思って」
関わり始めたからこそ、
無意識に“やらせる構造”が残ってしまう。

だからこそ、次に見るべきなのは、
施策の是非ではありません。

その施策が、
どんな“選択肢の形”として差し出されていたのか。

ここに目を向けることで、
「やらせる」から
「選べる」への転換が、初めて見えてきます。

⑤ 「問い」から始めることで、構造は変わる

「何をやるか」を決める前に、
まず立ち止まっておきたいことがあります。

それは、
一人ひとりに問いを向けること。

いま抱えている課題を、
どう捉えているのか。
改善するとしたら、
何ができそうだと思うのか。

一人ひとりに合わせた、問いかけをするところから、
すべては始まります。

ここで大切なのは、
問いを投げたあとに、
すぐ答えを求めないことです。

言葉に詰まる人もいれば、
まだ整理できていない人もいる。
考えが途中のままの人もいるでしょう。

それでも構いません。

問いを差し出すことは、
解決策を引き出すためではなく、
考える余地を手渡すためのものだからです。

そこから先は、
自然といくつかの選択肢が立ち上がってきます。

自分なりに考えたやり方を、試してみる。
必要に応じて、誰かの知恵を借りる。
今は見送る、という判断をする。

こうして行動は、
「指示されるもの」から、
「自分で引き受けるもの」へと変わっていきます。

自発や自立は、
促そうとして生まれるものではありません。

考える余地と、選べる構造の中で、
あとから立ち上がってくるものです。

問いから始める。
それだけで、
場の重心は大きく変わります。

エピローグ|「動かない」の奥にあったもの

現場が動かないとき、
つい「やり方」を探したくなります。

何を変えればいいのか。
どんな施策を足せばいいのか。

けれど、ここまで見てきたように、
問題は“中身”ではないことも多い。

的を得た施策だった。
意図も善意も、そこにはあった。

それでも動かなかったとしたら、
見直すべきは、
どう差し出され、どう受け取られていたのか
その構造なのかもしれません。

人は、
正しさで動くわけではありません。
説得されて動くわけでもありません。

自分で考え、選び、引き受けたときに、
初めて動き始めます。

管理職の役割は、
答えを持つことではなく、
考える余地を残すこと。

やらせないために、放任するのでもなく、
支えるために、正解を示すのでもない。

問いと選択が生まれる場を、設計すること。

その視点を持てたとき、
「なぜ動かないのか」という問いは、
少し違った形に変わっていくはずです。

「どんな構造の中に、いま立っているのか」

その問いから、
次の一歩が始まるのだと思います。

自信でも信頼でもない。「これでいい」と感じられる感覚について

はじめに

先日、とあるクライアントさんとの対話の中で、
こんな言葉がふとこぼれました。

「ちゃんとやってきたと思うんです。
でも、自信があるかと言われると……正直、わからなくて」

手を抜いてきたわけじゃない。
逃げてきたつもりもない。
任された仕事には向き合ってきたし、
周囲からの評価も、決して悪くはない。

むしろ、
「頼りにされている側」だった時間のほうが長い。

それなのに、
立ち止まったときにだけ、
小さな違和感が残る。

「私は、本当にちゃんとやれているんだろうか」
「これって、実績と言えるんだろうか」

長年コーチングをさせていただく中で、
この感覚は、決して珍しいものではないと感じています。

特に多いのが、
数値や成果指標に置き換えにくい強みを持ち、
場の空気を整えたり、
人の話を丁寧に受け取ったり、
関係性を壊さずに物事を前に進めてきた人たち。

いわゆる「人柄がいい人」ほど、
この感覚を抱えやすい。

数字で語れる成果が少ない。
肩書きにすると、少し説明が長くなる。
誰かの代わりに調整したこと、
場が荒れないように先回りして動いたこと、
問題が大きくならないように水面下で処理したこと。

そういう仕事ほど、
あとから振り返ると
“何も残っていない”ように見えてしまいます。

でも、不思議なことに──
そういう役割を担ってきた人ほど、
なぜか次も声がかかる。

「あなたにお願いしたい」
「いてくれると助かる」

評価はされている。
信頼も、たぶんされている。
それでも、なかなか確信を持てない。

この記事で扱いたいのは、
「自信を持つ方法」でも
「信頼を集める方法」でもありません。

自分らしさや強みが発揮されているときの、
あの内側にエネルギーが通る感覚を、
自分自身が認識できるようになること。

そこから生まれる
「これでいいんだ」という静かな力強さについて、
いくつかの対話をもとに、
少しずつ言葉にしてみたいと思います。

第1章|なぜ「ちゃんとやれている感覚」だけが、手元に残らないのか

――「足りない」のではなく、「認識できていない」だけかもしれない

ちゃんとやってきた人ほど、
「自分はまだまだだ」と感じやすい。

これは不思議な現象ですが、
長くコーチングに関わっていると、
かなり一貫して見えてくる傾向でもあります。

声が大きいわけでもない。
前に出るタイプでもない。
でも、いると場が落ち着く。
話が前に進む。
大きな問題にならずに、物事が収まっていく。

そういう人が、
あとになってこう言うのです。

「自分が何をやっているのか、
うまく言葉にできなくて」

外から見ると、
ちゃんと機能している。
周囲も、うすうすそれを感じている。

それでも本人の中では、
「手応え」として残らない。

その理由は、
やっていることの多くが、
自分自身では把握しにくい形で起きていること
にあると、ぼくは思っています。

やっていることの多くが、
“起きなかったこと”だからです。

衝突が起きなかった。
関係が壊れなかった。
混乱が大きくならなかった。
誰かが孤立しなかった。

それらは成果として数えにくく、
評価シートにも残りづらい。

けれど、
それがなければ成立しなかった場や仕事が、
確かに存在しています。

多くの人は、
結果や評価を通してしか
自分の状態を確認する方法を持っていません。

数字が出たか。
昇格したか。
表彰されたか。
役職がついたか。

それらは確かにわかりやすい指標です。
でも、すべての仕事が
そこに回収されるわけではありません。

関係性を整える。
言葉にならない違和感を先に拾う。
誰かが言いづらいことを代わりに受け止める。
全体の流れを止めずに、軌道修正する。

これらは、
発揮されているときほど、目立たない。

そしてもうひとつ。

こうした役割を担ってきた人ほど、
「自分がやった」という感覚を
持ちにくいことがあります。

それは、
やっていることが
自分にとってはあまりにも自然で、
ともすると簡単にできてしまうことだからです。

空気を読む。
場の流れを感じ取る。
誰かの言葉の奥にある意図を汲み取る。
衝突が起きる前に、そっと軌道を戻す。

それらは本人にとっては、
「特別なことをした」という感覚が
残りにくい。

でも実際には、
他の人にとっては、なかなかできないこと
である場合が少なくありません。

ただ、その違いを、
本人自身が知らない。

だから、

うまくいったのは、たまたま。
周りが良かった。
運が良かっただけ。

そんなふうに、
自分の関与を無意識に小さく見積もってしまう。

力が出ていないわけではない。
むしろ、出ている。

ただ、そのエネルギーが
外に流れっぱなしで、
自分の内側に戻ってきていない。

だから、
「これでいい」という感覚に結びつかない。

この章でお伝えしたいのは、
自信を持ちましょう、という話ではありません。

「あなたはもう十分です」と
誰かに言ってもらう話でもありません。

まずは、
自分らしさや強みが発揮されている状態を、
自分で認識できるようになること。

そこが整い始めると、
外の評価が増えなくても、
内側の力は、静かに戻ってきます。

次の章では、
その感覚を失いやすくなる
“消耗”の話をします。

なぜ、力を出してきた人ほど、
一度、立ち止まる必要が出てくるのか。
そこを丁寧に見ていきましょう。

第2章|なぜ、力を出してきた人ほど「一度、立ち止まる」必要が出てくるのか

これまでの話をここまで読んで、
「自分のことかもしれない」と感じた人もいるかもしれません。

自分らしさや強みは、たしかに発揮されている。
周囲からの信頼も、一定ある。
それでも、どこかで息切れする。

ある時期を境に、
体が重くなったり、
判断が鈍ったり、
今まで自然にできていたことが、
急にしんどくなる。

それは、
力が足りなくなったからではありません。

むしろ逆で、
力を出し続けてきたからこそ
起きる現象だと、ぼくは感じています。

第2章で触れたように、
こうした人たちは、
自分の強みを「強みとして」使っている感覚がありません。

空気を整える。
関係性の流れを感じ取る。
誰かの言葉を受け取り、場に返す。

それらはあまりにも自然で、
本人の中では
「何かをしている」という認識が起きにくい。

でも実際には、
本人が気づかないまま、
エネルギーは使われています。

成果として回収されるわけでもなく、
言葉として戻ってくることもない。

だから、
使っているのに、
使った感覚が残らない。

ここで起きているのは、
エネルギーの使いすぎではなく、
使っていることに気づけていないという状態です。

自分では気づかないまま、
じわじわと消耗が進む。

そしてあるタイミングで、
体や心が先にブレーキをかける。

「ちょっと、止まってほしい」
そんなサインとして、
体調不良や迷い、
理由のはっきりしない違和感が現れることがあります。

ここで大事なのは、
この立ち止まりを
「失速」や「後退」と捉えないことです。

これは、
調整です。

これまで外に向けて出し続けてきたエネルギーを、
一度、自分の内側に目を向けるための時間。

出すことと、エネルギーを整えること
その切り替えのタイミングが来ているのだと思います。

それなのに、
「まだ頑張れるはず」
「止まったら価値がなくなる気がする」

そうやって、
無理に動き続けようとすると、
回復ではなく、消耗が深まってしまう。

立ち止まることは、
何かを諦めることではありません。

自分の力を、
これからも使い続けるために、
向きを変えることです。

ここで初めて、
第2章で触れた問いが、
自分事として立ち上がってきます。

――
自分らしさや強みは、
いま、どんな形で発揮されているのか。
――
それを、自分は認識できているだろうか。

一度立ち止まり、
自分の状態を感じ直すことができると、
エネルギーは少しずつ、
内側に整い始めるはずです。

次の章では、
この「整い始めたエネルギー」を、
どうやって言葉にし、
日常の中で確かめていくのか。

「これでいいんだ」という感覚を、
自分の足元に取り戻すための
具体的な視点について、
整理していきます。

第3章|どうやって「発揮できている状態」を認識していくのか

ここまで読んで、
「じゃあ、どうすればいいのか」と思った方もいるかもしれません。

何か新しいスキルを身につける必要があるのか。
もっと自己分析を深めたほうがいいのか。
強みを言語化するフレームワークを学ぶべきなのか。

でも、ここでお伝えしたいのは、
何かを“足す”話ではありません。

大切なのは、
すでに起きていることに、
自分で気づけるようになることです。

「うまくいったか」ではなく、「どんな状態だったか」を見る

多くの人は、
出来事をこう振り返ります。

・成果が出たか
・評価されたか
・期待に応えられたか

もちろん、それも大切です。
でもこの記事で扱っているのは、
もう一段、手前のところ。

そのとき、自分はどんな状態だったか。

たとえば、こんな感覚です。

・心地よさがあったか
・自動的に動けている感じか
・広がっていたか
・静かだったか
・エネルギッシュだったか
・淡々としていたか

ここには、
正解も不正解もありません。

「こう感じるべき」という答えもない。
ただ、思い出そうとするだけでいい。

「できたこと」より、「自然だったところ」を拾う

強みが発揮されているとき、
多くの場合、
本人の感覚はとても地味です。

うまくやった感じがしない。
達成感もそれほどない。
むしろ、

「あっという間だった」
「特別なことをした気がしない」

そんな感覚で終わることのほうが多い。

もし、
「考える前に動いていた」
「頑張ろうとしなくても進んでいた」
そんな場面が思い当たるなら、

それは
自分らしさが自然に機能していたサイン
かもしれません。

ここで大事なのは、
無理に言葉をまとめようとしないことです。

「私は〇〇が得意だ」と
結論づけなくていい。

それよりも、

・どこで判断を挟んでいなかったか
・どこが一番スムーズだったか
・どこが一番“無音”だったか

そんなふうに、
体感の輪郭をなぞるくらいで十分です。

強みは、
自分が誇れるポイントとして
最初から自覚できるものではありません。

むしろ、あなたが
「こんなの誰でもできる」と思っているところ
に隠れていることのほうが多い。

「これでいいんだ」は、あとから静かにやってくる

「これでいいんだ」という感覚は、
意気込んでつくるものではありません。

何かを達成した瞬間に
ドン、と訪れるものでもない。

むしろ、
こうした小さな確認を重ねたあとに、
ふと気づくものです。

・前より疲れていない
・同じことをしているのに、余白がある
・無理に証明しようとしなくなった

そんな変化として、
静かに現れます。

それは、
自信とも少し違う。
信頼とも、少し違う。

自分のエネルギーが、
自分の中で循環し始めた感覚
と言ったほうが、近いかもしれません。

そして、こうした確認を重ねていくと、
「自分らしさ」や、
本来の自分との一致感を
ふと感じられるようになることもあります。

何かを足したというより、
ずれていたものが、
静かに整ってきたような感覚です。

この記事を通してお伝えしたかったのは、
「もっと頑張ろう」という話ではありません。

すでに出ている力を、
自分でも感じ取れるようになること。

そのための視点を、
いくつか置いてみただけです。

もし今、
立ち止まる感覚や、
違和感を感じているとしたら。

それは、
何かが足りないサインではなく、
整えるタイミングが来ているサイン
なのだと思います。

そしてその整え方は、
外に答えを探すより、
自分の感覚に戻るところから始まります。

静かですが、
とても確かな一歩です。

おわりに

ここまで読んで、
何かを変えようとしなくても、
すでに動いているものがあると感じたなら、
それで十分だと思います。

気づくことは、
整え始めることでもあるから。

今はただ、
自分の感覚に、少しだけ耳を澄ませてみてください。

部下に「やりたいこと」を聞いたのに、手応えが残らなかったときに起きていること

はじめに|ミッションと「やりたいこと」を重ねようとしたときに起きること

とある経営者のクライアントさんとのコーチングセッションで、
会社のミッションと、社員一人ひとりの
「やりたいこと」や「成長目標」を
どう近づけていくか、という話題になりました。

組織が向かおうとしている方向と、
そこで働く人それぞれの関心や成長が、
少しずつ重なっていくこと。
そして、社員自身が
「この会社に所属していること」を
自分の成長や自己実現につながるものとして
感じられている状態。

この考え方については、
コーチとしてさまざまな立場のビジネスパーソンと
対話を重ねてきた中でも、
また、かつて自分自身が会社員だった頃、
最もパフォーマンスが高かった時期を振り返ってみても、
強く共感するところがあります。

一方で、
この考え方を実際のマネジメントや
日々のコミュニケーションに落とし込もうとすると、

「想定と違うな」と立ち止まりそうになることがあります。

たとえば、

組織が向かおうとしている方向と、社員一人ひとりの関心や成長を重ねていくきっかけとして、
「どんなことをやっていきたい?」
と問いを投げかけてみたとき。

返ってくる答えが、
自分の中で思い描いていたものと
少し違って感じられることはないでしょうか。

歯車が噛み合っていないような、ちょっとした無力感が残る。

この記事では、
こうした場面を
「質問がうまく機能しなかった」と片づけるのではなく、
その場で何が起きていたのかを、
コーチの視点から少し外側に引いて
眺めてみたいと思います。

第1章|「どんなことをやっていきたい?」という問いを投げたとき

組織の方向性と、
社員一人ひとりの関心や成長を重ねていこうとするとき、
この問いはとても自然に浮かんできます。

「どんなことをやっていきたい?」

相手を尊重しているつもりもあるし、
急かしているわけでもない。
むしろ、その人自身の考えを知りたいという
素直な関心から出てくる問いです。

実際、その場のやり取り自体は、
表面的にはきちんと成立しています。
質問が投げかけられ、
それに対して、言葉が返ってくる。

ただ、その返答を聞いた瞬間に、
管理職の側にだけ、
小さな違和感が残ることがあります。

たとえば、こんな答えです。

「まだ、そこまで考えたことがなくて……」

あるいは、

「今は、とにかく目の前の仕事を
 しっかりやりたいと思っています」

または、

「会社に求められていることを
 ちゃんとやっていきたいです」

どれも、
失礼でもなければ、
的外れでもありません。
むしろ、真面目で、無難で、
その場としては“正しい”答えにも聞こえます。

それでも、どこかで
歯車が噛み合っていないような感覚が残る。

「聞きたかったのは、
 “あなた”がやりたいことだったんだけどな

そんな思いが、
言葉にならないまま、
胸の内に残ることがあります。

このとき起きているのは、
答えが足りない、ということではありません。

返ってきた言葉は、

今の関係性の中で、
その人が安心して出せる”ちょうどいい答え”
だった、というだけです。

未来の話を避けた、というよりも、
未来の話をするには、
まだ少し距離があった。

あるいは、
その問いが
「考えを広げる問い」ではなく、
「評価される問い」として
受け取られていたのかもしれません。

もちろん、その社員さんが
未来のことにきちんと向き合っていない、
ということもあるかもしれません。

ここで大事なのは、
このやり取りを
「問いが悪かった」「引き出せなかった」
と整理してしまわないことだと思います。

コーチの立場からこの場面を眺めると、
ここで表に出ているのは、
その人の意欲や主体性ではなく、

今、この関係性の中で
どこまでの話が”安全”と感じられているか
という情報です。

問いは、

答えを引き出すために投げられたけれど、
実際には、

関係性の現在地を
そのまま映し出している。

だからこそ、
あの「歯車が噛み合っていない感じ」は、
何かが足りなかったサインではなく、

次にどこを扱えばいいのかを
教えてくれている感覚

なのかもしれません。

第2章|対話を少し外側から眺めてみると

対話の渦中にいるとき、
管理職の意識はどうしても
「何を聞くか」「どう返すか」に向きがちです。

けれど、
あの歯車が噛み合っていないような感覚が残った場面を、
少しだけ外側から眺めてみると、
違うものが見えてきます。

ぼくが、歯車が噛み合っていないような感覚がある時に
注目するのは、
返ってきた答えの中身そのものではないことが多いです。

どちらかというと

安心して回答できていない状態に、
注意が向けられます。

こうした要素は、
本人が意識してコントロールしているというよりも、

その関係性の中で自然に立ち上がってくるもの
であることがほとんどです。

たとえば、
未来の話になった瞬間に、
言葉が少し抽象的になる。
主語が「自分」から
「会社」や「求められていること」に
すっと移る。

あるいは、
考えながら話しているというより、
安全そうな言葉を
選びにいっているように感じられる。

それは、
考えていないからでも、
やる気がないからでもありません。

その距離感では、
そこまで踏み込まなくてもいい

と、身体が判断している状態
とも言えます。

また、
問いを投げた側が
評価する立場や、
何かを決める立場にあるとき、
本人にその意図がなくても、
場はわずかに緊張を帯びます。

このとき、問いは
「考えを広げるためのもの」ではなく、

「どう答えるのが無難か」を
探らせてしまうことがあります。

人は、
安心していない場で
わざわざ不確かな未来の話を
深く掘り下げようとはしません。

だから、
対話が浅くなったり、
言葉が無難になったりするのは、
個人の資質や姿勢の問題というよりも、

場と関係性がそうさせている

と捉えることができます。

ここで大切なのは、
この場面を通して、

今はどんな話題までなら安心して扱えるのか
どんな前提があれば、もう一歩踏み込めそうなのか

そうした情報が
静かに立ち上がっている、
という点に目を向けることです。

対話を少し外側から眺めると、
見えてくるのは

関係性の状態。

そして、
その状態が見えてきたとき、
次にどんな関わり方を選ぶか。
その選択肢が、
少しだけ増えていきます。

第3章|「やりたいこと」は、引き出すものなのか

ここまで見てきたように、
「どんなことをやっていきたい?」という問いが
想定どおりに展開しない場面では、
問いそのものよりも、
その場の関係性や状態が
大きく影響していることがあります。

このとき、
管理職や関わる側が
無意識に考えてしまうのが、
「どうすれば、やりたいことを引き出せるのだろうか」
という問いです。

けれど、
コーチの立場から対話を見ていると、
少し違う見え方をすることがあります。

「やりたいこと」は、
質問によって
どこかから取り出すもの、
というよりも、

状態が整った結果として、
自然に輪郭を持ってくるもの

のように見えるからです。

安心して話せているとき、
評価される心配が薄れているとき、
今すぐ決めなくていいと
身体が感じているとき。

そうした状態の中では、
本人もまだ言葉にしきれていなかった関心や違和感が、
会話の途中で、
ぽつりと現れることがあります。

それは、
最初から明確な形をしているとは限りません。
• なんとなく気になっていること
• 最近、少し引っかかっている出来事
• 得意とも不得意とも言い切れない感覚

そうした断片が、
対話の中で少しずつ並び、
あとから振り返ったときに
「あれが、やりたいことの芽だったのかもしれない」
と見えてくる。

こう言った場面での
「やりたいことを聞く」という行為は、
答えを得るためというよりも、

その人の関心に、
ご本人が、そして組織が
踏み込む準備が出来ているかどうかを
確かめる行為である

と感じます。

だからこそ、
問いに対して
はっきりした答えが返ってこなかったとしても、
それは、
まだ言葉にする段階ではなかった。
あるいは、
その問いが向けられた文脈では、
そこまで踏み込む必要を
感じていなかった。

ただ、それだけのことです。

「やりたいこと」を
無理に言語化させようとすると、
対話はどこかで窮屈になります。

一方で、
今はどんな話題なら
安心して扱えるのか。
どんな前提があれば、
もう一歩、内側の話に近づけそうなのか。

そうした状態に目を向けていると、
結果として、
その人自身の言葉で語られる
関心や方向性が、
あとから立ち上がってくることがあります。

問いは、
答えを引き出すための
道具というよりも、

状態を確かめ、
関係性と文脈が
そこに踏み込めるかどうかを見極めるためのもの

そう捉えてみると、
「やりたいことを聞く」という行為の意味も、
少し違って見えてくるかもしれません。

第4章|関係性を少し調整すると、対話の質が変わる

ここまで見てきたように、
「やりたいこと」をめぐる対話が
思ったように進まない場面では、
問いの内容そのものよりも、
その場にある関係性や前提が
大きく影響しています。

では、
その関係性を「変える」必要があるのかというと、
必ずしもそうではありません。

多くの場合に起きているのは、
少しズレた前提のまま会話が進んでいる
という状態です。

たとえば、
• 今は決める場なのか、考える場なのか
• 評価が行われる文脈なのか、探索の文脈なのか
• 会社の話をしているのか、個人の話をしているのか

こうした前提が、
共有されないまま混ざっていると、
対話はどこか噛み合わなくなります。

このとき、
大きな働きかけをしなくても、
関係性を「少しだけ調整する」ことで、
対話の質が変わることがあります。

たとえば、
今すぐ結論を出す場ではないことを
あらかじめ共有する。
今日の話が、
評価や配置に直結するものではないと
言葉にしておく。

あるいは、
「正解を出す話ではなく、
 考えを並べる時間にしたい」
と、場の目的を揃える。

それだけで、
相手の話し方や、
言葉の選び方が
少し変わることがあります。

これは、
相手を変えたというよりも、

安心して話してもいい範囲が少し広がった

という変化です。

関係性の調整とは、今、
どこまでの話なら扱えるのか。
どんな前提が共有されているのか。

その輪郭を、
ほんの少し明確にすることです。

そうして場が整うと、
それまで語られなかった関心や違和感が、
自然と話題に上がることがあります。

「やりたいことを聞こう」と
力を入れなくても、
その人の言葉で、
少しずつ方向性が語られ始める。

その変化は、
劇的ではありません。
けれど、
対話の質としては、
確かに違うものになります。

関係性を扱うというのは、
相手の内面に踏み込むことではなく、

対話が行われている”場”を
丁寧に整えること

そう考えると、
管理職が担っている役割も、
少し違って見えてくるかもしれません。

第5章|問いが投げられる前から、対話は始まっている

ここまで振り返ってみると、
「やりたいことを聞く」という問いそのものが、
対話の成否を決めていたわけではないことが
見えてきます。

問いが投げられる前に、
すでに場には空気があり、
関係性があり、
共有されている前提があります。

その状態の上に、
問いが置かれる。

だから、
同じ問いであっても、
返ってくる言葉や、
対話の手応えは変わってきます。

歯車が噛み合っていないように感じたとき、
その原因を
「問いの選び方」や
「聞き方」に求めたくなるのは、
とても自然なことです。

けれど、
その違和感はもっと手前で
すでに形を持っていたようにも感じられます。

今は、
決める場なのか。
考える場なのか。

評価が関係する文脈なのか。
探索が許されている文脈なのか。

会社の話なのか。
個人の話なのか。

そうした前提が、
言葉にされないまま混ざっていると、
問いは自然と
「どう答えるのが無難か」を
探らせるものになります。

それは、
誰かが間違えたからではありません。
その場が、
そうした対話を生みやすい状態だった、
というだけです。

対話を扱うというのは、
相手の内面に踏み込むことでも、
正しい問いを探し当てることでもありません。

問いが投げられる前に、
どんな場が出来ているかに目を向けてみる

どこまでの話が扱われそうか。
どんな前提が共有されていそうか。
今は、どんな温度の時間なのか。

そこに意識が向くと、
問いの役割も
少し違って見えてきます。

問いは、
何かを引き出すためのスイッチというより、
すでに始まっている対話の流れを
そっと確かめるためのもの。

そう考えると、
思ったような答えが返ってこなかった場面も、
違う意味を持ち始めます。

それは、
失敗でも、停滞でもなく、

今の関係性や場の状態が
そのまま現れた一瞬

だったのかもしれません。

問いが投げられる前から、
対話は始まっている。

そう捉えてみると、
管理職として、
あるいは誰かと関わる立場として、
自分が向き合う対象も、
少し静かに、
広がっていくように感じられます。

相手の回答がつくる、
あなたの中の感覚には、
どんな意味があるでしょうか。

若手の“転職したい”に、あなたが正解を出さなくても良い理由

「部下から“転職を考えています”と言われました」

そんな報告を受けたとき、あなたはどう反応するでしょうか。
引き止めるべきか、黙って背中を押すべきか、それとも上司として何かを伝えるべきか。
――いろんな考えが一気に頭を駆け巡るかもしれません。

私たち管理職は、「その場で的確に対応すること」や「部下にとって正しい助言をすること」を求められる場面が多くあります。
だからこそ、“転職”という言葉を聞いた瞬間、つい「どう対処すればいいか?」という答え探しのスイッチが入ってしまうのも無理はありません。

でも、そんなときこそいったん立ち止まって考えてみてはどうでしょうか?
その言葉、本当に“辞めたい”という意味なのでしょうか?
そして――

その言葉をどう受け取るかが、あなた自身のマネジメントを問い直すチャンスになるかもしれません。


“転職”という言葉の奥にあるもの?

以前のセッションで、ある管理職の方からこんな相談を受けました。
「新入社員の女性から“転職を考えています”と言われて、正直、どう対応すればいいかわからなくなってしまいました」

この方は、これまで対話型のマネジメントを実践し、部下の主体性を引き出し、安心して意見を出し合えるチームづくりを地道に積み重ねてきました。
実際、とても良いチームビルディングができていました。

しかし、今回の新人にはこれまでのやり方が通用しませんでした。

一見すると明るく、ポジティブな印象で、コミュニケーションもきちんと取れているように見える――
けれど、どこか本気さが感じられず、常に薄い違和感が残る。
大きなトラブルがあるわけではないものの、時折、目立たないかたちで自己中心的な行動が見られることもありました。

そんな新人との関わり方に悩み始めていた矢先の“転職発言”だったのです。

これまでも難しい局面は何度もあったけれど、自分のマネジメントでなんとか乗り越えてこられた。
でも今回は通用しないのではないか――そんな迷いが、少しずつ心の中に生まれていたようです。

とはいえ、「これまでのやり方が通用しない」という感覚は、これまで積み上げてきた自分のマネジメントに対する小さな不信感を呼び起こすこともあります。

とくに対話型のマネジメントを実践している人ほど、
「関係性を築く」「対話する」「相手の成長を信じて関わる」といった原則を大切にしているからこそ、
うまくいかない相手と出会ったときに、「自分のやり方がズレていたのではないか?」という自責の思考に陥りやすいのです。

だからこそ、「接し方を変えれば解決するのでは」と考えるのは、ある意味とても自然な反応です。
けれどその視点は、相手に合わせようとするがゆえに、逆に自分の視野を狭めてしまうこともある。

この方も、「新人に対してどのように接すればいいのか?」という“接し方の修正”に意識が向いている感じがしました。
けれど、それだと関わり方の選択肢の幅が狭くなるように感じたので、

私は、視点を変えることが効果的だと思えたのです。

そこで私は、こう問いかけてみました。

「その“転職したい”という言葉、本当にそのまま受け取って良いと思いますか?」

もしかすると――
• 自分の存在を認めてほしいという“試し行動”
• 過度な期待への“抵抗”
• 職場に対する違和感を言語化できず、転職という言葉に置き換えている

そんな背景がある可能性もあります。
「転職したいです」は、単なる意思表明ではなく、“何かを伝えたい”というサインなのかもしれません。


正解探しより、問いの力を信じてみる

転職の意思を伝えてきた新人に対して、どんな言葉をかければよいのか。
どんな態度で接するべきなのか。
管理職としてその場に立たされたとき、私たちはつい「正しい対応」を探そうとしてしまいます。

でも、すぐに“正解”を出そうとすることが、かえって状況を見誤らせてしまうこともあります。

対話型のマネジメントを実践してきたこの方も、今回ばかりは、

「自分のマネジメントにどこか足りないところがあったのではないか」
「接し方をもっと変えた方がよかったのではないか」
そんなふうに“答え”を求め始めていました。

ですが、マネジメントにはそもそも正解がありません。
あるのは、その時々の相手に合わせた“問い”を持てるかどうかです。

とはいえ、正解を出したくなる気持ちは、とてもよくわかります。
上司という立場にあると、部下の不安を取り除くことや、スムーズに仕事が回るように整えることが求められます。
だからこそ、「何か言わなければ」「すぐに動かなければ」と感じてしまうのは、ある意味自然な反応です。

けれど、「正しく対応すること」ばかりに意識が向いてしまうと、
いつの間にか、“相手の言葉をどう受け取るか?”という問いよりも、
“自分がどう振る舞えばいいか?”という問いにすり替わってしまうことがあります。

問いを持つとは、「正解を探し続ける」ことではありません。

一度立ち止まり、その言葉の裏にある背景やサインを見つめる余白を持つこと。

それこそが、対話型マネジメントを実践する上での“本当の問い”なのだと思います。

たとえば今回のように、「転職したい」という言葉が出てきたとき、
それをそのままの意味で受け取って、“転職したい部下”への接し方を選ぶのか?
それとも、その言葉を何かしらのサインとして捉えたうえで接するのか?

どちらの姿勢で関わるかによって、見えてくる景色は大きく変わってきますし、
関わり方の選択肢の幅も、圧倒的に変わってきます。

人は、心の中で思っていることをそのまま言葉にできないこともありますし、
意図的に、違う言葉を発することもありますよね。

だから、言葉に反応することではなく、問いを持ち続ける意識をもつこと。

その問いが、次の一手を見つける力になります。


「見守る」という粘り強さ

今回のケースでこの管理職の方が選んだのは、すぐに何かを変えようとするのではなく、“見守る”という選択でした。

ただ、それは決して放置ではありません。
「社会人としてのルールに明確に反したときだけ指導する」
「必要に応じて人事部門にも状況を共有する」
――そうした対応策を冷静に整えた上で、“あえて踏み込まない”という判断をされたのです。

そしてもう一つ、大切にされていたことがあります。
それは、新人の成長を諦めないこと
感情を介入させすぎず、でも見捨てることなく、距離を取りながらも可能性に目を向け続ける。
その姿勢には、粘り強さと覚悟がありました。

けれど、「見守る」という選択は、言うほど簡単ではありません。
人間のもつ本当の力を信じたいと思う反面、

「本当にこのままでいいのか」「何か動いた方がいいのではないか」――
そんな葛藤が、心の中で何度も浮かんでは消えます。

ときには、周囲からの声がプレッシャーになることもあります。
「最近あの子、大丈夫なの?」「もっと声をかけてあげた方がいいんじゃない?」
そんなふうに言われると、
自分の静かな“見守り”の姿勢が、消極的に見えているのではと不安になる瞬間もあるでしょう。

でも本当は、「見守る」というのは何もしないことではなく、“すぐに動かない”という決断を続けること。
その裏には、手を出すことが自分の安心のためになっていないかという、内省と問いかけがあるのだと思います。

すぐに動くこと、すぐに言葉をかけることが「マネジメントらしさ」だと思い込んでしまうと、
“何もしない”ことは無責任に感じられるかもしれません。
そして、とくに自分が迷っているときは、「動く」ほうが自分が楽なことも、本当は多いと思います。

でも実は、問いを持ち続けながら見守ることこそ、最もエネルギーがいるマネジメントのひとつなのだと思います。


部下の「転職したい」は、上司の成長の扉

「転職したい」と口にする部下に、どう向き合うか。
それは単に、“引き止める or 見送る”という二択の話ではありません。

まず大前提として、転職は悪いことではありません。
部下には部下の人生があり、その時点でのベストな選択として転職を選ぶことも、当然あり得ることです。

けれど、その選択が正しいかどうかを判断することよりも、
上司として本当に大切なのは――

たとえそれがマネジメント側の要因ではなかったとしても、その言葉が発せられた“状況”に、どれだけ真摯に向き合えるかどうか

正解を出そうと焦るよりも、問いを持ち続ける。
すぐに動くのではなく、粘り強く見守る。
その姿勢が、部下の未来を信じることにもなり、同時に自分自身を育てることにもつながっていきます。

だからこそ、「転職したい」のように、一見会社側にはマイナスに聞こえる、
現状を大きく変えようとする部下の言葉は、

結果がどうなろうとも、上司自身の成長に向けた扉をノックしてくれているのかもしれません。

たとえ最終的にその部下が転職という選択をしたとしても、関わった時間が無駄になるわけではありません。

マネジメントは、“関係性の結論”ではなく、“関わったプロセス”そのものに価値がある。

上司の問い続ける姿勢は、部下の心に直接届かなくても、
その後の誰かとの関係、あるいは自分自身の在り方に、きっとつながっていくはずです。

その扉の前で、あなたはどんな問いを持ちますか?