なぜ、その方法では問題が解決しなかったのか── 解き方ではなく、順番を変える

第1章:当たり前への違和感

問題が起きたとき、
「原因は何か?」と考えるのは、ごく自然なことだと思います。

むしろ、問題解決とは原因を特定し、それを取り除くことだと、
当たり前のように前提にされている場面も多いのではないでしょうか。

実際、現場でも
「なぜ起きたのか」「どこに問題があったのか」といった問いは、
ほとんど反射的に投げかけられます。

ビジネスコーチとして、
さまざまな規模の組織で、さまざまな職責の方たちと、
多くの問題や課題の解決を支援してきました。

その経験を通して感じているのは、
この「原因を問う」というアプローチは、
多くの場合、本質的ではないということです。

一見、対応が進んでいるように見えても、
原因を特定しているはずなのに、前に進まない。
むしろ、現場の負担が増えて疲弊を招いたり、
問題が別の形で繰り返されたりする。

こうした現象は、
本質的な解決に至っていないサインと考えられます。

この、うまくいかなさや違和感を、
「原因を問うことは、本当に問題解決につながっているのか」
という問いのきっかけにすることが出来るのではないでしょうか。

第2章:原因を見ることが本質に辿りつかない理由

①:原因に感情が付着する

原因を問うとき、
そこには感情が入り込みやすくなります。

「なぜできなかったのか」
「どこに問題があったのか」

こうした問いは、
起きている出来事そのものを扱っているようでいて、
いつの間にか「誰の問題か」という方向に向かっていきます。

すると、対話の中には
• 自分を守ろうとする反応
• 正当化しようとする説明
• 必要以上に引き受けてしまう萎縮

といったものが現れやすくなります。

結果として、
起きていることそのものではなく、
その受け止め方や立場をめぐるやりとりに、
エネルギーが使われていきます。

こうした状態では、
何が起きているのかをそのまま扱うことが難しくなり、
問題の全体像が見えにくくなることもあります。

② 個人帰属のズレ

原因を問う流れの中で、
もうひとつ起きやすいことがあります。

それは、問題が個人の資質や能力に
結びついていくことです。

起きている出来事を整理しているつもりでも、
いつの間にか
• 誰の判断がよくなかったのか
• 誰の対応が不十分だったのか
• 誰のスキルが不足していたのか

といった形で、
焦点が人に集まっていきます。

もちろん、個人の関わりが
まったく影響しないわけではありません。

ただ、その切り取り方をすると、
問題の見え方が限定されていきます。

本来は、関係性や配置、前提となっている構造の中で
起きている出来事であっても、
それが個人の問題として扱われる可能性をつくってしまいます。

すると、
「人を変える」「指導する」「改善させる」
といった方向に力がかかりやすくなります。

場合によっては、
「反省させる」といった関わり方に
なってしまうこともあります。

その結果、
起きていることの全体像には触れられないまま、
別の形で同じような問題が現れる、
ということも起きやすくなります。

③ 合成の誤謬

もうひとつ、原因を問うことで見えにくくなるものがあります。

それは、個々の判断や行動が正しくても、
全体としてはうまくいかない、という現象です。

それぞれの人は、その場その場で
合理的に判断し、適切に行動している。

一つひとつを切り取れば、
特に問題があるようには見えない。

それにもかかわらず、
全体として見ると、なぜかうまく噛み合わない。

例えば、ぼくが会社員時代に商品開発をしていたときのことです。

新しい商品を工場のラインで生産できるようにしていく中で、
各工程のピッチタイムを測り、
その合計を製造にかかる時間として見積もっていました。

一つひとつの工程を見れば、
それぞれ妥当な数値です。

ただ、実際に生産を始めてみると、
その時間では製品は上がってきません。

一方で、生産が安定してくると、
今度はその見積もりよりも、かなり早い時間で
製品が上がってくるようになります。

それぞれの工程の積み重ねとして
全体を捉えていたはずなのに、
実際の動きは、その通りにはなりませんでした。

それは、習熟によるピッチタイムの短縮だけでは、
説明しきれない動きが、
実際の現場では起きていました。

こうした状況では、
個々の原因をいくら丁寧に探していっても、
全体の問題には辿りつかないことがあります。

むしろ、個々の正しさを積み上げていくほど、
全体のズレが強まってしまう、
ということも起こりえます。

それぞれが正しいことをしているにもかかわらず、
全体としてはうまくいかない。

言い換えると、
部分最適の積み重ねが、
そのまま全体最適になるとは限らない、ということです。

こうした現象は、
「合成の誤謬」と呼ばれることもあります。

この視点に立つと、
問題は個人の中にあるというよりも、
関係性や配置、前提となっている構造の中で
立ち上がっている可能性が見えてきます。

第3章:転換(状態を見る)

① 原因ではなく「状態」を扱う

ここまで見てきたように、
原因を丁寧に追いかけていっても、
問題の全体像に辿りつかないことがあります。

個々の要素や判断を分解していくほど、
かえって見えなくなるものがある。

そうした場面に何度も出会ってきました。

そんなときに、
ぼくがクライアントさんに最初にお聞きするのは、
今、起きていることそのものです。

誰のところでずれたのか、何が間違っていたのか、ではなく、
今、どのようなことが起きているのか。

評価や解釈をいったん外して、
出来るだけ起きていることをそのまま扱うようにする。

そうして見えてくるものは、
それまでとは少し違った形をしています。

② 問題のレイヤーを見直す

起きていることをそのまま見ようとすると、
問題の見え方が少し変わってきます。

例えば、これまで特定の個人やポジションに紐づいているように見えていたことが、
実は、別のところに広がっていることがあります。

ある人の判断や対応がうまくいっていない、
という形で捉えていたことも、

その人と周囲との関係性の中で見ると、
違った側面が見えてきます。

さらに、その関係性が置かれている環境や前提、
つまり構造の中で見ていくと、
問題の位置そのものが変わって見えてくることがあります。

個人の問題として見ていたものが、
関係性の問題として浮かび上がり、

関係性の問題として見ていたものが、
構造の問題として捉え直される。

このように、問題は
個人 → 関係性 → 構造
というレイヤーの中で、見え方を変えていきます。

どのレイヤーで問題を捉えるかによって、
その後に取る行動も、大きく変わってきます。

③ 解決の質が変わる

このように、問題の見え方が変わると、
その後の取り組みも、自然と変わってきます。

原因を特定して対処しようとすると、
どうしても「どこを直すか」とか「どう直すか」に意識が向きます。

うまくいっていない部分を見つけて、
それを修正していく。

ここまで見てきたように、
一定の場面では有効なこのやり方も、
もし問題の本質が個人や一つの要素で完結していなかった場合、
その修正は、再発を防げなかったり、
別の問題を引き起こしてしまうことがあります。

人や要素に原因を見つけると、
そこに手を入れる方向に意識が向きます。

例えば、チェックを増やしたり、
人員を増やしたり、
手順を細かくしたりする。

一方で、起きていることをそのまま見て、
関係性や構造の中で捉え直していくと、

これまで「直す」という発想で見ていたものが、
「どのように再配置するか」という形で見えてきます。

配置や関係のあり方、
組み合わせや順番を見直していく。

そうした変化は、
部分的な修正というよりも、
全体の構造を整えていくものになります。

結果として、
無理に何かを押し進めなくても、
自然と前に進み始めることがあります。

この記事の続きでは、

ここまで整理してきた「順番」を、

実際にどのように扱っていくのかを、もう少し具体的に見ていきます。

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https://note.com/kng1970/n/n96a9ceaf4f1e